みなさんこんにちは!
管理人のナリアです。
2025年7月8日放送のNHK・Eテレ『先人たちの底力 知恵泉』では、宮崎県を“南国リゾート”のような観光地へと変貌させた立役者――
岩切章太郎(いわきり しょうたろう)さんが特集されます。
戦後間もない時代、観光地としてはまだ無名だった宮崎県。
そのイメージを「南国=宮崎」として全国に浸透させ、“新婚旅行といえば宮崎”という一大ブームを巻き起こした仕掛け人が岩切章太郎さんです。
彼は実業家として、交通・観光インフラを整備しつつ、まるで「大地に絵を描く」かのような大胆な構想力で街づくりを実践。
その功績は、今でも宮崎県の観光文化や経済に色濃く残っています。
また、今回の知恵泉では岩切章太郎さんの人となりや信念に加え、地域を変える“知恵”がどのように活かされたのかが紹介されるとのこと。
NHKならではの、時代を超えたヒントがつまった内容になりそうですね。
この記事では、そんな岩切章太郎さんについて
- 宮崎を“南国化”した功績
- 宮崎交通グループの創業経緯と経歴
- 妻や子孫、一族の家系図や現在の関わり
といった点を中心に、wiki風にわかりやすくまとめていきます。
NHK知恵泉を見逃した方も、これから知りたい方もぜひ参考にしてみてください。

地方の魅力は、もともとあるものを活かすだけではなく
「ないなら、つくっちゃおう!」
という発想から生まれることもあるんですね。
岩切章太郎さんの“南国・宮崎”プロジェクトは、
まさにゼロから理想を描ききる力の象徴みたいに感じました。
知恵泉をきっかけに、またひとつ――
地域と向き合う新しい視点が見えてきそうです。
岩切章太郎のwiki風プロフィール
名前 | 岩切 章太郎 (いわきり しょうたろう) |
生年月日 | 1893年5月8日 |
没年月日 | 1985年7月16日 |
出身地 | 宮崎県宮崎市 |
職業 | 実業家 宮崎交通グループの創業者 |
【火曜日のテレビ】
先人たちの底力 知恵泉 (NHK Eテレ 22:00~)
『岩切章太郎 南国宮崎・新婚旅行ブーム仕掛け人』
【ゲスト】唐池恒二,イワクラ(蛙亭),関西剛康,【司会】藤井彩子,【語り】谷口慎一郎https://t.co/cZNJInnms1#先人たちの底力知恵泉#知恵泉— 歴史情報局ときどき墓マイラー (@rekishi_info) July 7, 2025
岩切章太郎(いわきり しょうたろう)さんは、1893年(明治26年)5月8日生まれ。
宮崎県宮崎市の出身で、昭和を代表する地方実業家のひとりです。
彼の名が今なお語り継がれているのは、なんといっても「宮崎交通グループ」の創業者であり、
“何もなかった宮崎”を、日本を代表する観光地へと育て上げた地方創生の先駆者であること。
戦後の混乱期、多くの地方が疲弊する中で、岩切章太郎さんは
「宮崎を“南国リゾート”にしてしまおう」
という破格の構想を実行。
バスや鉄道といった交通インフラを整える一方で、観光資源の開発やブランド戦略を行いました。
一代で地方企業を大きく育てあげた手腕、そして
“ないものはつくる”という情熱と知恵に満ちた姿勢は、現代においても学ぶべきヒントが多くあります。
1985年7月16日、92歳で逝去されましたが、
今でも宮崎の人々のあいだでは「岩切先生」として親しまれ、語り継がれています。
岩切章太郎の妻や子孫は!?家系図で見る
岩切章太郎さんは、9人兄弟の長男として宮崎県宮崎市に生まれました。
家系は代々商家で、祖父の岩切与平さんは呉服店と帆船による貿易を営み、複数の船を所有するなど、当時としては非常に裕福な家柄でした。
父である岩切与平(2代目)さんもまた実業家で、呉服業から一転して銀行や電力、鉄道、新聞社など多分野の起業に関わり、宮崎農工銀行、日州銀行、日向水力電気、宮崎軽便鉄道などの創設に尽力しました。
まさに「地方の事業王」ともいえる人物でしたが、51歳の若さで急逝しています。
母親は病人の看病が得意だったと伝わっており、家庭内でも周囲に尽くす姿勢が根づいていたようです。
兄弟も多く、弟の岩切黒木芳郎さんはのちに宮崎放送の社長を務めています。
もう一人の弟は地域の消防団長として活動するなど、一族全体で地域を支える立場にあったことがわかります。
結婚は早く、岩切章太郎さんは大学2年生の12月に結婚。
お相手は、宮崎農工銀行の取締役の娘さんで、格式ある家系同士の婚姻だったと考えられます。
その翌年(大学3年生の時)には長男が誕生しています。
子どもは息子と娘の2人。
特に長男の岩切省一郎さんは、のちに宮崎交通グループの2代目社長として、父の事業を引き継ぎました。
妻や子供(子孫)家系図まとめ
- 岩切章太郎さんは9人兄弟の長男として誕生
- 祖父・岩切与平さんは呉服商&帆船貿易の商人
- 父・岩切与平(2代目)さんは地域の起業家として多くの事業を創業
- 母は看病に長けた人物として知られる
- 妻は宮崎農工銀行の取締役の娘
- 息子と娘の2人の子どもがいる
- 長男・岩切省一郎さんは宮崎交通の2代社長を務めた
- 弟の岩切黒木芳郎さんは宮崎放送の社長を歴任

家系全体がまるで“宮崎の近代化そのもの”を象徴しているようですね。
誰かひとりが特別、というよりも、
一族がそれぞれの分野で「宮崎の未来」を担っていた感じがします。
特に岩切章太郎さんの早すぎる結婚と事業継承力には驚き。
地方の可能性を信じた一家の“根っこ”の強さを感じました。
宮崎を南国化!岩切章太郎の功績や経歴wiki
戦後の日本。復興の波が押し寄せるなか、地方都市・宮崎県はまだ全国的な知名度が低く、観光地としても目立った存在ではありませんでした。
そんな中で、「宮崎を“南国の楽園”にする」という大胆なビジョンを掲げたのが、実業家の岩切章太郎さんです。
彼がとった戦略は、観光インフラの整備だけではありません。
“大地に絵を描く”という表現の通り、町の景観や道路、植生までも意図的に南国イメージに統一。
なかでも有名なのが「フェニックス並木」で、宮崎県内の至るところに植樹され、トロピカルな印象を全国に広げるきっかけとなりました。
さらに、青島や日南海岸といった観光地の整備、そして宮崎交通を中心とした鉄道・バス網の拡充によってアクセス性を大きく向上。
これが功を奏し、昭和30年代には「新婚旅行といえば宮崎」という時代が到来します。
広告やポスターにも南国を意識したコピーやデザインが多用され、メディア戦略としても先駆的。
地域の“魅せ方”を意識した観光戦略は、まさに観光マーケティングの先駆者的存在といえるでしょう。
実際に、宮崎県はその後数十年にわたり、新婚旅行地としての地位を維持し続けます。
これは岩切章太郎さんの構想力と、地元への深い愛情がなければ実現しなかった奇跡と言えるでしょう。
国道220号、448号を走り、理想のフェニックス並木を見つけました。 pic.twitter.com/w9OuI3LaNR
— RoadJapan 𝕏 写真と動画 (@roadjapan) May 8, 2025
- 岩切章太郎さんは「宮崎=南国」の観光ブランドを構築
- 「フェニックス並木」や青島・日南海岸の整備など、景観から仕掛けた
- 宮崎交通による交通インフラ整備で観光客の受け入れ体制を強化
- 昭和30年代に「新婚旅行といえば宮崎」という一大ブームを創出
- 観光マーケティングの先駆者として高く評価されている

「南国」って、本来なら気候とか自然条件で決まるものだけど――
岩切章太郎さんは、その“イメージ”すら創り上げてしまったんですね。
ただ道をつくるだけじゃない。
そこに植える木、通る人の気分、写真に写る風景まで。
まさに“景観をプロデュース”した先駆者。
こんな知恵が今の観光にももっと必要かもしれませんね。
NHK・Eテレ「知恵泉」で特集!岩切章太郎
2025年7月8日放送予定のNHK・Eテレ『先人たちの底力 知恵泉』では、宮崎県を“南国リゾート”へと導いた観光戦略の仕掛け人、岩切章太郎さんが特集されます。
今回のテーマは「観光の知恵SP」。
地方の魅力をどう発掘し、どう伝えるのか――
現代にも通じるヒントが、岩切章太郎さんの人生から見えてきそうですね。
放送後には、NHKプラスでの見逃し配信も予定されていますので、気になる方はぜひチェックしてみてください。
- 放送日:2025年7月8日(火)22:00〜22:45
- 番組名:NHK・Eテレ『先人たちの底力 知恵泉』
- テーマ:「観光の知恵SP」
- 宮崎県を“南国化”した岩切章太郎さんを特集
- NHKプラスで見逃し配信予定あり
「観光は知恵」とはよく言ったもの。
自然の景色に“物語”を加えることで、ただの場所が“行ってみたい場所”に変わる――
そんな仕掛け人として、岩切章太郎さんの知恵に注目です。
まとめ・岩切章太郎の宮崎を南国化させた構成や経歴、妻や子孫(家系図)
今回の記事では、宮崎県に南国イメージを植え付け、“新婚旅行ブーム”を巻き起こした実業家、岩切章太郎さんについてご紹介しました。
この記事でわかったこと
- 岩切章太郎さんは1893年生まれの実業家で、宮崎交通グループの創業者
- 9人兄弟の長男として生まれ、父や祖父も地元の実業家
- 妻は宮崎農工銀行の取締役の娘で、長男・岩切省一郎さんが事業を継承
- 「宮崎を南国にする」というビジョンを掲げ、観光開発に尽力
- フェニックス並木や青島整備など、景観と交通の両面から観光を支えた
- NHK・Eテレ『知恵泉』で、2025年7月8日に特集予定

「地方から日本を変える」って、よく聞くけれど――
実際には、資金も人も足りない中でやるのはとても難しいこと。
でも岩切章太郎さんは、それを「見た目の風景」から少しずつ変えていったんですね。
道路にフェニックスを植えて、「ここは南国ですよ」と感じてもらう。
その小さな工夫の積み重ねが、いつの間にか“宮崎=リゾート地”という大きなイメージを作ったんだと思います。
それって、すごく現実的で、同時に夢のあるやり方ですね。
みなさん最後までご覧いただき、ありがとうございました。
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